
本ブログ、ヨウムがブログはじめてもいいでしょ(https://greyparrotblog.com/)の管理人でありますヨウムの小虎と申します。
この度は本ブログにお立ち寄り頂き、誠にありがとうございます。
私はオスのヨウムで、2019年現在21歳。新潟県に住んでいます。
なぜヨウムである私がブログを始めるに至ったかについてご説明させて頂きます。
ここから先の話はとても信じがたいような内容でありますので、千葉県の舞浜を訪れた時のような無邪気な気持ちでお読みください。
ヨウムとは?
そもそもヨウムはアフリカに生息する大型のオウムです。
残念ながら自然に生息するヨウムは森林の減少などにより減っているそうですが、人間との関係は深く、はるか昔から私たちの先祖はペットとして飼われていたようです。
寿命は50年程度と言われていますので、私はもうすぐ中年の域なのかもしれません。
ヨウムはベジタリアンで、私は通販で購入するペレットをよく食べています。
また、人間の言葉が話せる鳥として有名で、一説には人間の5歳児程度の知能があると言われています。
なぜ私は文章が書けるのか?
皆さん、相対性理論はご存知でしょうか?
かの天才アインシュタインが思考実験の末にたどりついた理論です。
しかし、その内容の難しさゆえ、発表当初は学者仲間ですらほとんど理解できなかったといいます。
人間の知能にも個体差があるため、それは仕方がないことなのでしょう。
こうした知能の個体差を分類する指標として知能指数、いわゆるIQと呼ばれるものが使われます。
アインシュタインのIQは160以上だったと言われているそうです。
仮に最小の160とすると、分布としては3万人に1人程度存在することになります。
日本の人口は1億2000万人ほどですから、日本全国で4000人くらいはIQ160以上の方がいることになります。
つまり、人間の5歳児程度の知能を有するヨウムの中から、成人程度の知能を有する個体が出てきてもなんら不思議なことではないということです。
私の最初の飼い主
私はもともと埼玉のペットショップで売られていました。
とはいえ幼い頃だったため、ほとんど記憶がありません。
私を購入し、育ててくれた飼い主に聞きました。
私の飼い主は埼玉県加須市の子供のいない老夫婦で、私を自分たちの孫のように可愛がって育ててくれました。
そして、まだ小さかった私に人間の子供と同じような教育をしてくれたのです。
教え方が良かったのか、私の知能が生まれつき高かったのかはわかりませんが、私はめきめきと知識を増やし、5歳を過ぎるころには普通に日本語での会話ができるようになっていたと思います。
私は二人をおじいちゃん、おばあちゃんと呼び、家族として暮らすようになりました。
私の名前
おじいちゃんは新潟県長岡市出身で、長岡中学校(今の長岡高校)を卒業したそうです。
明治初期、戊辰戦争で新政府軍に負けた長岡藩は、今日の飯にもありつけないような苦境にありました。
苦境を見かねた近隣の藩から百俵の米が送られましたが、藩の大参事であった小林虎三郎は「この米を飢えた今日食べるのではなく、未来のための教育にこそあてなければならない」と主張して、この米を売却して学校を作ったのです。
これがいわゆる米百俵とよばれるお話で、こうしてできた学校が国漢学校であり、のちの長岡中学校になるのです。
自分の母校、ひいては長岡市の基礎を作ってくれた小林虎三郎をおじいちゃんはとても尊敬していましたので、私にも小林虎三郎から一字を頂いて、小虎と名付けてくれたのです。
もしかすると、ヨウムの私に対してまで教育を施してくれたのは、米百俵の思想を受け継いでいた部分があったのかもしれません。
旅立ち、そして新潟へ
私は10歳になると、加須の家から旅立つことになりました。
どこかに引き取られるというわけではなく、自力で生きていくということです。
おばあちゃんは前年に亡くなってしまっていたので、おじいちゃんだけが見送ってくれました。
まだ見ぬ世界を想像しながら意気揚々と青空へ飛び出したはいいのですが、自然はそんなには甘くありませんでした。
私なりに自然の中での生き方を調べてシミュレーションしていたのですが、そんなものはしょせん机上の空論であるということが身に染みてわかりました。
結局、心優しい人達の家にお世話になりながら、各地を転々とすることになります。
そして、いつか来たいと思っていたおじいちゃんの故郷である新潟県にたどり着いたのです。
おじさんのところに居候する
今は一人暮らしのおじさんのところに半ば強引に転がり込んでいる状態です。
おじさんは私の飼い主というわけではなく、私が居候させてもらっているということになります。
そのため、自分の食い扶持は自分で稼がなければなりません。
ヨウムである私は普通の職に就くのはなかなか難しいところがあるので、このようにブログを運営して広告収入を得ようと考えました。
これからどうなるかはわかりませんが、しばらくは続けてみるつもりです。
なお、時々おじさんもブログの執筆を手伝ってくれていて、雑記は基本的におじさんが書いていますのでご承知おきください。
最後に
長くなりましたが、ここまで読んでくれてありがとうございました。
色々と飛ばした話がたくさんあったので、いつか機会があればまたお話しさせて頂こうと思います。