私がNBAを見るようになったきっかけの試合

雑記

私がNBAを見るようになったきっかけの試合がある。

それは2015年3月15日に行われたクリーブランド・キャバリアーズサンアントニオ・スパーズという試合である。

当時は仕事が忙しかったためテレビは録画して見ることが多かったのだが、飲んで帰ったときにたまたま付けたテレビで放送していたのがこの試合であった。

多くの日本人はマイケル・ジョーダンの活躍は知っていても、レブロン・ジェームスの活躍を知っている人は少ないのではないだろうか。

私もその一人であった。

ただレブロン・ジェームスという名前は知っていた。

彼が高校からNBA入りをする際、日本のメディアでも大いに騒がれていたのを覚えていたからだ。

当時の彼のニックネームは”chosen one”。

選ばれし者”という意味である。

ここから先の話は後に調べて知ったことだが、簡単に彼のこの試合までの経歴に触れておきたい。

彼は高校卒業後、ドラフト1位でクリーブランド・キャバリアーズに入団する。

NBAのドラフトは、全30チームの中から年間の勝率が低いほうから数えて14チームがロッタリーという抽選にエントリーし、残りの16チームは勝率の低い順に指名順が決まる。

ロッタリーは勝率が低いチームが上位の指名を得る可能性が高くなるように偏った確率で抽選を行い、指名順を決めるものである。

プレーオフに進む可能性がなくなったチームが故意に負けるのを防ぐために制度化されたものだ。

とはいえ勝率が低いチームは上位の指名順を得る確率が高くなる。

つまり、NBAではプロ入り前から注目されるような選手は弱小チームに指名される運命なのだ。

この当時のキャバリアーズもご多分に漏れず、前年の勝率が20.7%という弱小っぷりであった。

ただ、レブロンは高校時代から注目された超目玉選手であり、なおかつクリーブランド出身であったため地元の盛り上がりはすさまじかった。

入団直後からクリーブランドの期待を一身に背負うことになったレブロン。

しかし、彼は本物だった。

彼はNBA入り1年目のシーズンに新人王になると、3年目には弱小だったチームをプレーオフに導く。(NBAを二つに分けたカンファレンスでレギュラーシーズンを争い、全15チーム中8チームがプレーオフに出場できる)

そして4年目のシーズンはプレーオフでも勝ち続け、ついにNBAファイナルに進出した。

これに勝てばチーム史上初、念願のNBAチャンピオンになることができる。

しかし、サンアントニオ・スパーズを相手に結果は4戦全敗。

レブロンも精彩を欠いた成績だった。

その後キャバリアーズNBAファイナルに進むことができないまま7年目のシーズンを終え、彼は決断した。

地元のキャバリアーズを離れ、ドラフト同期のドウェイン・ウェイドクリス・ボッシュというスタープレイヤーと共に“BIG 3”としてマイアミ・ヒートでプレーすることにしたのだ。

これにはクリーブランドのファンは大きく失望し、彼のレプリカユニフォームが街中で焼かれた。

ヒートで迎えた8年目のシーズンはシーズン前半こそなかなかプレーがかみ合わず、チームの成績は振るわなかったが、その後チームは復調し、プレーオフを勝ち続けNBAファイナルに進出。

NBAファイナルに敗れチャンピオンになることはできなかったが、翌9年目のシーズンには再びNBAファイナルに進出し、オクラホマシティ・サンダーを破り、念願のNBAチャンピオンに輝いた。

さらに10年目のシーズンでもNBAファイナルに進出。

サンアントニオ・スパーズを下し、“Back to back”と呼ばれるNBA2連覇を達成した。

11年目のシーズンは再びNBAファイナルスパーズと対戦。

スパーズの未来のスタープレイヤーであるカワイ・レナードの活躍によってスパーズが勝利し、3連覇は成らなかった。

そして、この年のオフシーズン。

彼は再びキャバリアーズに戻ることに決めた。

自身の夢であったNBAチャンピオンになることができた彼は、地元の夢を実現するためにプレーすることを選んだのだ。

彼が抜けた後にドラフト1位で指名され入団したカイリー・アービング、トレードで獲得したケビン・ラブと共に新たな“BIG 3”を結成し、NBAチャンピオンを目指すことになった。

そうして迎えたこの年のレギュラーシーズン終盤。

レブロンにとって因縁深い相手である対サンアントニオ・スパーズ戦が行われた。

これが最初に書いた試合である。

当時の私はこのような経緯など何一つ知ることなく、なんとなく名前を知っているレブロンを目で追っていたように思う。

試合はどちらかのチームに大きく流れが傾くことなく終盤を迎えたが、残り3分5秒の時点で95-104スパーズがリード。

さらにレブロンが痛恨のテクニカルファウルをとられ、フリースローを決められて95-105の10点差に。

厳しい状況であったがキャバリアーズは必死に食らいつき、残り31秒のところでアービングがスリーポイントシュートを決めて3点差。

スパーズのボールから再開。

24秒のショットクロックぎりぎりまで時間を使い、残り7秒でスパーズトニー・パーカーが放ったシュートはミスになったが、そのリバウンドをカワイ・レナードが確保して、キャバリアーズにとっては絶対絶命の状況に。

キャバリアーズはすぐさまレナードにファウルをして時間を止める。

これはファウルゲームと言って、試合終了直前に負けているチームが試合時間を進めさせないために相手チームにわざとファイルをし、フリースローを打たせて外してくれることを期待して逆転を狙うものである。

ファウルによって与えられる2本のフリーフローのうち1本でも決められれば4点差となり、スリーポイントシュートでも届かないため、ほぼ試合は終了となる。

NBA選手であればフリースローの確率は平均70%を超える。

しかし、レナードは2本のフリースローを外してしまう。

このリバウンドをアービングが確保し、すぐにタイムアウト。

残り3秒から同点を目指すオフェンスを組み立てる。

そして試合再開。

最後にボールを託されたのはアービングであった。

彼が試合時間残り2秒を切って放ったスリーポイントシュートがゴールに吸い込まれると、試合終了のブザーが鳴った。

劇的な展開で同点に追いつき、試合はオーバータイム(延長)に突入した。

オーバータイムは最終盤に追いついた勢いをそのまま持ち込んだキャバリアーズレブロンの活躍もあり、スパーズを突き放して勝利を収めた。

アービングは57得点、レブロンは31点という活躍だった。

この劇的な試合をたまたま最初に見ることができた私は、ここからNBAの魅力にどっぷりとはまることになるのである。

ただし、NBAを見ることになるきっかけを作ってくれたキャバリアーズ、そしてレブロンアービングであるが、この後私は彼らを恨めしく思うようになる。

その話はまたの機会に。

ここまで読んでくれて、ありがとう。ではまた。

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